◆箱根の坂/司馬遼太郎
おススメ度
「なんて“すずやかな”ヒーロー!」
一人の漢(おとこ)を知り尽くしたような錯覚に陥る
 氏の作品を読むといつも、私は今まで歴史というものを、年表でしか学んでいなかったんだなあとつくづく思わされます。そして、年表なんか覚えなくても、もっと大事なこと=「人間そのもの」そして「世の中の仕組み」や「大きな時の流れ」を知ることができるのが歴史なんだなあ、と。人間も捨てたもんじゃないなあと思ったり、今も昔もバカだなあと思ったり、今じゃ考えられないことをしているけど同じ人間なんだなあとびっくりしたり。年表はどんどん忘れてゆくけれど、氏が描き出して見せる人間達とその時代は、間違いなく記憶に留められることでしょう。この作品で初めて知った(えーと、こんな人、授業で習いましたっけ?)北条早雲という人も、心の中できらきら輝く存在となりました。
 時は室町末期、応仁の乱の混沌の中で、濁りのない目で世を見通し、厭世的に、そして内側に思想と情熱を秘めて確かに生きていた早雲。野心のなさから一度は乞食同然の身にまで落ちながら、心に抱き続けた義理の妹・千萱への想いと民衆政治への理想から、50を越えて東国へ向かう決意をします。私欲のない人柄は司馬氏の創作とはいえ、実際に江戸時代に良政を布いた大名でも早雲の優れた統治には叶わなかったと言われているぐらいですから、この「
目元すずやかな」男の描き方にはちゃんと一貫性があり、真実味に溢れています。
 どれかの本の解説で、氏が、「目の前にその人間が見えるようになるまで書かない」と言われておりましたが、本当に、円熟期に書かれたこの作品では、北条早雲その人を知っている人が書いたのだとしか思えないくらい、人間そのもの存在感が感じられます。そして、早雲という人物が、生臭いところの殆どない、時にどこか仙人のような軽やかさのある、品のいい人柄で捉えられているので、氏のなす筆の上品さとあいまって、それはそれは
格調高く、かつ「おもしろい」(ここが大事!)作品に仕上がっていました。
 また、当時の流行の言葉や歌を、分かりやすい解説を交えながら取り入れていることで、その時代の風俗がとても身近に感じられます。日本語が好きな方にはとても面白いはず。この言葉はこういう意味だったのか〜と、楽しみながら勉強になるのです。
 読後の充実感は、どんな歴史の授業も叶いません! 良作。